過去のコラム みどりん

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みどりんのブログ 

「風のように、土のように」 2011/9/21 【こども通貨まーぷと、最近のもやもや】より転載

 

今、箕面でこども通貨「まーぶ」を循環させようとしている。まーぶというツールを使って、実現したいことは2つ。こどもたちが18歳になったとき、自分自身の生き方について複数の選択肢が持て、自分の人生を納得して生きていけること。そしてこどもたちの活躍でまちを元気にすること。

こどもたちは、自分の糧になるような「何か」を学んだり、誰かのためになる仕事をすることでまーぶを稼ぐことができる。稼いだまーぶを使って、自分の学びたいことを学んだり、まちで行なわれる楽しいことに参加できたりする。また稼いだまーぶは、「みらいのじぶん銀行」に貯金して、自分のみらいに投資することもできる。(具体的には奨学金をもらえたり、海外スタディツアーに行けるしくみをつくるべく検討中)

まーぶを稼ぎ、使い、また稼ぐというプロセスの中で、人とのつながりを増やし、視野を広げ、得意なことを見つけ、自分に自信を持てるようになってほしい。さらに、こどもたちがまちと出会い、関わることで、まち全体が元気になったら、すっごい素敵じゃないか。夢はむくむくふくらむ。

マイノリティの解放運動として、まちづくりをやっている北芝発のとりくみだからこそ、まーぶは特に、様々な背景を持つ「しんどい子どもたち」が、まーぶを通してどうイキイキできるか、自分で立てるようになるかに焦点をあてる。あの子らを置いてきぼりにしてしまったら意味がない。

これがまーぷ(↓)

まーぷ画像

この間、私は「社会」に対する問題意識なんてほんとに持ってるんだろうかと自分に自信がなくなってる。「社会問題に取り組む自分」でいたいだけじゃないか、それによって自分が承認されたいだけじゃないかと。実際、私がこどもの頃から人権教育の盛んな学校の中で、そうやって承認を受けてきたのだ。

しかも「具体・個別の人(特にこども)」とつき合うことも苦手。これはもともとだけど。(特に相手のニーズをベースとして"支援する"というかたちでの関わりはマジでできない。正直、相談員とか絶対向いてない。こどもと"遊ぶ"のは相手と遊びによってはできるけど、”遊んであげる”のはできない。がんばったらできるけど、かなりしんどい。嗚呼、なんて利己的なんだろう。)

じゃあ私が今やってることって、一体なんだ。ただの自己満足じゃないか、誰も幸せにしないんじゃないのか、とここのところ、だんだん卑屈になってきた。

「一度こういう社会的な活動を全部やめたら、自分はどうなるんだろう」と思う。何かに怒りや悲しみを感じて「変えたい」と思えて、また動き出せたらきっとホッとするだろう。逆にそうなれなかったら、きっと自分にガッカリする。

そんなこんなで、「一回止まってみたい欲求」がこの間けっこう強くある。

まあでも、生活もあるから稼がなあかんし、仕事がきらいなわけじゃなくてむしろ好きだし、でもこのモヤモヤはなかなかかき消せなくて、どうしたもんかと思っていた。

正直その疑問はまだ解けてないけど、今日考えてて、ちょっとすっきりしたのは、私は「18歳での自己選択」といううちの職場の、うちの課のミッションには非常に共感してるんだよな、ということ。しかも具体的に、何人かだけど、この子たちが18歳になった時に、自分が納得できる生き方を選びとってほしい、幸せになってほしいと思える子がいるな、と気づいた。

関わっているすべての子たちを"支援する"ことは今の私には難しいけど、ただ単に私が、あの子たちに、力をつけてほしい、自分に自信をもってほしい、幸せになってほしい、とはほんとに思っていて、そのために動くことなら、がんばれるかなって思えた。

だから、私は利己的に、RとSとIのためにまーぶを成功させたい。いい循環をつくりたい。

とりあえずは、それでいいかな、と思った。