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血だるま剣法・おのれらに告ぐ  平田 弘史著 青林工芸舎

なんとも悲惨な話。現段階(当時においても?)で事実誤認があるのは確かだけれども、作者の部落差別への怒りや社会の理不尽さを問うという姿勢は伝わってくる内容。ただし、部落が否定的に書かれることについては差別をひしひしと感じていた運動側とっては相当なアレルギーがあったのも確かであり、その時代状況では絶版・回収せざるをえなかったのだろうな、という気もする。1962年、映画『人間みな兄弟』のころですからね。ある意味でまだ部落差別をすることが当然の時代とも言えたわけで。このズレを埋めるほどのロジックもデータもなかったんでしょう。

これ、復刻版では「穢多」をすべて伏せ字にしてるけど内容を読めばだいたいわかります。まぁ、呉智英さんの解説を少しでも読めばそのものズバリがわかるんですが…。ただ、読んでてまったくわからなかったのは55ページの二コマ。これは近親結婚と奇形児の話やったんですね。当時この部分で抗議できなかったのは、部落の人たちも近親結婚についての偏見を内面化していたということなのだろうか? もちろん、今は明確に否定されています。嘘ですから。まだ信じてる人もいるけどね。

この一件を受けた後で、「カムイ伝」に出てくる人たちが皮を扱っているのに「穢多」ではなく「非人」として描かれていることに白土三平さんの計算がある、という解説を読んで、非常に納得した。水平社以降の部落解放運動は基本的に「穢多」あるいは「かわた」系の運動だから、「非人」として描いておけば抗議は来ないだろうということ…。うーん、なるほどなぁ…。やはりそのあたりは当事者としてのアイデンティティが関わってくる。

差別と表現について、いろいろ考えさせられる内容ですが、まずはこの物語を多くの人に読んでもらいたいと思います。というのも、この物語が描く差別の構造は、全面的にではないにしろ形を変えて今も続いている。改訂された犯罪者の子どもでも同様に。

蛇足ですが、『カムイ伝』第一部もお薦めです。冗長ですが、頑張って最後まで読み切って欲しいと思います。そうすると最後、腰を抜かすほどびっくりします。これを読むと、今の時代だったら「権力と闘うのはやめとこ」ってなるでしょうね(笑) ともあれ、作品が描かれた時代背景を知っていると、より面白いと思います。

                                             (2010/11/06 りゅうし

 

とことん!部落問題 角岡伸彦著 講談社

はじめに
第一章 エッセイ
第二章 わたしと部落
第三章 被差別部落の青春群像
第四章 ルポ 部落の現場から
第五章 危ういマスコミ
第六章 「同和」に巣くう悪人たち
第七章 飛鳥会事件の深淵
第八章 『同和利権の真相』の深層
あとがき

買っていたけれど、なかなか読めずにいた本。といっても、初出の原稿をけっこう読んでいたので、あらためて読み直したといった感じ。90年代半ばから現在に至るこれまで書かれた原稿を集めている。この15年間の部落問題をめぐる変化はかなり大きいので、変化している、という認識を持ちながら読むことが重要かもしれない。部落問題の動向をめぐる年表とかがあってもよかったかな。

ところで、部落問題って一人称で語られることがほとんどない。一番発信力のある部落解放運動の文脈だと、必ず「われわれは、」となってしまう。そういう意味では「われわれ」に回収されずに90年代から角岡さんが一人称で語ってきたこと、ルポルタージュを書かれてきたことにはものすごく大きな意味があると思う。一人称での「人権問題講演会」は意味があると思いますよ。私はこう考える、あなたは?

それに、ヤクザとの関係をきちんと取りあげているのも角岡さんが最初だったのではないかと。違ってれば教えてください。

それはそれとして、
第六章「「同和」に巣くう悪人たち」
第七章「飛鳥会事件の深淵」
第八章「『同和利権の真相』の深層」 
の三つがとてもおもしろかった。

第六章は、悪気なく差別している人がいっぱいいるということに改めて気づかされる。

第七章と第八章、同和対策の評価は誰かがやらねばならない。今の基準、当時の基準を含めて。運動は走り続ける必要があるから、走りながらの総括はできないでしょう。そういう意味で、研究者がきちんと検証する必要がある。結局、だれからも好かれよう、清廉であろうという「デオドラントな(確か宮崎学さんがそんな言葉を使っていたように思う)」運動になってしまうと、清濁合わせ持った人は排除されてしまう。そしてそれを期待する社会状況もある。悩ましいところ。

部落解放運動は社会運動論としてはものすごくおもしろい活動をやっているのだけれども、マイノリティなので発信が弱い。本当に発信が弱い。だからよく知られていない。単なる誤解もホントに多い。いろんな人がいるにもかかわらず、十把一絡に見られることも多い。だからこそ一人称で語る必要はある。

最後の「深層」の話、共産党との対立(「暴力・利権集団」と「差別者集団」というレッテルの張り合い)はほんま不幸なことやと思う。それを冷ややかに見ていたり、そんな対立があることも全く知らないでやり過ごせる人たちが大多数なんだから、お互いイメージを悪くして終了…。角岡さんの言う「小さな世界」の不幸。

それにしても、甘い汁を吸った人も少なからずいたでしょう。その人たちは今、どうしてるのかな? 何を考えているのかな? ってことを考えると、まじめにやっている人をたくさん知っているだけにやりきれない気分にもなる…。いったい、どうしたらよかったんでしょうね? 

「あなたはどんな社会を目指しているんですか?」という角岡さんの問いは、部落問題に限らず、「悪」(とラベルを貼られたものやその関係者)を断罪し排除しようとする人々に対して、一歩立ち止まって考えるきっかけを与える、適切な投げかけだと思う。とは言え、「社会」なんて考えていない人の方が多いのだろうけれども…。

                                             (2010/03/17 りゅうし

同和と銀行 三菱東京UFJ“汚れ役”の黒い回顧録 森功著 講談社

部落解放運動って社会運動としては非常に興味深いものだと思うけれども、外向きのメディアの発信はほとんどなく、多くの人にとってはなんだかよくわからないものとして見なされているように思う。実際問題、「利権集団」(ちょっと前は「暴力集団」…今もか?)と選挙のたびに叫ばれているわけだから、むしろよくないイメージを持つ人の方が多いだろう。

僕の研究動機も「なんだかよくわからない」というところが大きい。よくわからないので研究してみようという比較的単純なもの。10年ほどいろいろ研究してみて、ようやくこんなことかな、と見えかけてはいるけれども…。

ひとつわかっているのは、差別が怖いので、当事者の側からは、いろんなものごとがなかなかオープンにならないということ。僕としては、我々が構成する社会を理解する上で、そして、その社会と向きあって生きている人間を理解する上で、いろんなことがオープンになればいいのにと思う。プラスもマイナスも、清濁あわせて。

そういう意味で、この本は、小西邦彦という一人の部落出身者の人生を辿る非常に興味深い読み物となっている。もちろん、どのくらいまでが事実かという問題は含みつつも、新たな学びもたくさんあった。

それにしても、読んでてだんだん悲しくなる。救いがない。いい思いもたくさんあったろうけど、利用されるだけされて役に立たなくなったら捨てられるというお話。

地上げや不動産バブルなど、カネが動くところでは当然裏社会とも対峙するし、銀行ってすごい商売…。
“汚れ役”も役割であって、その役割を全うしたということは、官僚制機構内だととても立派な仕事ぶりということになる。これは巨大な組織にいれば多かれ少なかれ共通することだろう。

「大阪市の駐車場のアガリにしろ、学校と銀行の取引の仲介にしろ、不動産開発がらみの迂回融資や裏金づくりにしろ、振り返ってみれば、事業の主体は小西邦彦ではない。それは行政であり、金融機関であり、不動産業者である。とうぜん、そこには利権が発生し、小西はその大きな分け前にあずかる。そんな構図のなかで、お互いがいい思いをしてきたのだろう。
 問題は、そうしたビジネス行為において、反社会的な暴力団や非合法組織に資金が流れていることではないだろうか。銀行からの転貸しや迂回融資がまさにそれにあたる。小西は、その役割を担っていたからこそ、糾弾されたのである。しかし、その意味では銀行も同罪である。というより、ある意味金融の知識のない無垢だった小西を引きずり込んだとも言えるのである。」(p265)

一つの事件にしろ何にしろ、描く方はいろんなストーリーを提示できるので、こうした複眼的な記述があるのはいいことだと思う。少なくとも「同和」=「利権」=「悪」という短絡的なお話ではない。銀行に勤めている人は銀行を守りたいだろうし、役人であれば大きな問題は起こしたくないだろうし、確実に儲かるならその手の話にも乗ってしまう。そこに義理も人情もある。そういう我々の社会のありようが描かれている。

それにしても裏社会はすごい。警察も含め、政治とカネの話は、想像を絶する世界。いい思いをしたいということで利権があるというのはわかるし、そうした利権はよくないという意見もあるけれども、利権がない世界もまた想像できないわけで…。

「特権」とか「利権」はまぁ、「解同」やら「日共」のように貶める言葉ですな。

そういうラベリングから少し距離を取って、何を「利権」と名指しているのか、そして「利権」と名指すことによって誰の「利権」が担保されるのかを見抜けないと、知らぬ間に誰かの「利権」を確保することに手を貸してしまうのだと思う。この本のターゲットは「同和」ではなく「銀行」にある。

                                             (2009/12/22 りゅうし

七夕しぐれ 熊谷達也著 光文社

仙台で部落問題ってのが全然ピンとこないですが、中身は青春小説っぽくて「寝た子を起こすな」とどう闘うのかって話。一気に読める。

「ないことになってる」と思っている人たちへの強烈なアンチテーゼだけれども、共感して読めない人もたくさんいるだろうね。東北の同和教育ってどんなもんなんだろうか?

                                             (2009/07/19 りゅうし

太郎が恋をする頃までには… 栗原美和子著 幻冬舎

面白かった。一気に読みました。どこまで本当でどこまで虚構なのかはわからないので、とりあえず虚構として読みました。最後の方は特にそうですしね。でも、読者には虚構とは思ってもらいたくない。

泣けるフレーズは多々ありますが、家族との葛藤など、かなりリアルです。これまで部落問題に向き合い続けてきて、ハジメさんの行動はかなりリアルなものに感じます。部落を忌避しようとさせる構造がある限り、事実このような葛藤に置かれることは往々にしてあるわけで、下手すると何の知識も経験もなく、サポートしてくれるような知人・友人など、受け皿も何もない部落外出身者の方がショックが大きいことも十二分にあり得ます。

ハッピーエンドにしないことの是非があると思いますが、事実泣いてきた人たちの存在を浮かびあがらせる意味ではそれもまたリアルさを醸し出すことになっていると思います。

さて、「だから避けよう」となるのか、「だからおかしい」となるのか。そこは読者に任せるしかありませんね。でも、東京発信であることにはとても意義があると思います。だいぶ風穴は開いたのかな…。

寝た子を起こすなという人の感想を知りたいなぁ…。

                                             (2008/11/04 りゅうし

 

対論 部落問題 組坂繁之・高山文彦著 平凡社

第一章 部落差別とは何か 組坂繁之の個人史を通して
第二章 部落解放運動の光と影
第三章 松本治一郎の遺産
第四章 部落差別と日本人
第五章 宗教と被差別民
第六章 今に残る差別をどう乗り越えるか

部落のアイデンティティについてキーになる文章をいくつか、、、

「被害妄想と言われるかもしれませんが、常に誰かに見られている、差別的な冷たい視線を感じるというか、特に昔は強かったと思います。」(p24)

このあたり、「被差別部落出身者の自己像」(我妻洋,1964『自我の社会心理』誠信書房)を想起させます。

「部落民であることを知ったころは、やっぱり親を恨み、地域をずっと恨んでいました。何で俺をこんなところに生んだんだと。好んで生まれてきたわけじゃないぞと、最初はそういう気持ちでした。
 だけど解放運動をやっていくと、なるほどな、こんなつらい厳しい差別の中でよくぞ俺たちを育ててくれたという気持ちになる。それがわかってくると、親に対する感謝の気持ちが湧いてきて、それから故郷に対してももっとよくしたいという気持ちになってくるんです。」(p32-33)

「部落民であること、それを知ること自体が辛いことなんです。いままで付き合っていたボーイフレンドや友人が、自分が部落出身だとわかると去っていくんじゃないかという恐れですよね。」(p38)

など、このあたりはある程度、部落出身者の共通体験として認識されているところだと思います。

あと、高山さんの

「三十三年間続いた事業法を終わらせたのは解放同盟自身だということも強調しておきたいと思います。もし解放同盟が「同和利権」を守る団体だったら、そんなことをするはずがないんです。」

というロジックも興味深い。

といった文章など、全体的に部落問題や部落解放同盟についてあまり知らないひとにとってはいい本だと思いますが、差別の克服を目的としている本であるからこそ、「殺人ゲームに洗脳される子どもたち」の節のせいでいろんなものが台無しになっているような気がする。特にこの新書を(ゲームに慣れ親しんだ)若者にも読んで欲しいと思っているとすれば、致命的でしょう。

このあたりは特に事実かどうか極めてあやふやなのに、その後で「事実にもとづかない」情報を鵜呑みにするのが
まずいという展開になっているので…。

あと、「○○が言っている」という語りが多いのですが、できれば出典をつけてもらいたかったですね。そのあたりは新書の限界でしょうか…。

p205-208がホントに惜しいなと…。

                                             (2008/10/08 りゅうし