今までのテーマトーク

7月のテーマは「なぜ、部落問題を伝えたいと思うの?」です!

部落に対するメンバーのそれぞれの想いがつぶやかれるテーマトーク、スタートします。

第1回目はBURAKU HERITAGEへの参加理由とも重なってくるであろう「なぜ部落問題を伝えたいと思うの?」です。(お題設定者:たみ)

たみ  私が住んでいる場所(東京、部落外)では、部落問題を知っている人が少ないようです。そんな中で暮らしていると、部落問題を知らない人が増えていることで、あたかも部落問題が存在しないものになってしまっているような気がして、それはおかしいぞ、というのがもともとのモチベーションでした。自分の中では大きな問題で苦悩することもあるのに、それが周りの人の中ではないことになっているなんて…と。でも、今は、部落問題を伝えることは、部落の人たちだけでなく、全ての人たちのためになるんじゃないか、と思っています。そもそもなぜ部落が生まれたのか、なぜ差別がずっと続いてきたのか、この過ちを繰り返さないためにどうしていったらいいのか、そういう問いは、部落問題に関わらず、この社会を作っていくための普遍的な問題であり、幸せな社会を作っていくための大事なヒントだと思うからです。つまるところ、みんなで幸せになりたいから、ということかな?

りゅうし 僕はふだん、社会の中でマイノリティと呼ばれるような少数派の人々と、マジョリティと呼ばれるような多数派の人々と関係について研究しています。簡単に言えば、どういう条件があればマイノリティの人々とマジョリティの人々が仲よく楽しく暮らしていけるのかを、学問的に考えています。中心的にとりくんできたのが部落問題の研究です。
 部落問題は、日本の社会における典型的なマイノリティ問題です。政府の統計でいうと、1993年の調査が最新のものですが、同和地区に住んでいる人は200万人強。同和地区に住んでいる人の中でも、もともと部落にルーツがあるというふうに思われている人が、90万人ぐらい。日本の社会の中には1億2000~3000万人いるわけですから、それから比べると圧倒的に数が少ない。まさにマイノリティです。
 また、誰が部落の人なのか、見た目ではわからないということも部落問題の大きな特徴です。これまでの社会運動によるさまざまなしがらみもあり、メディアもなかなかこの問題をとりあげません。だから、どこにそんな人がいるのかがなかなか見えてこない。見えない存在であるにもかかわらず、さまざまな偏見情報であったり、悪い噂みたいなものがあったりします。
 マイノリティである当事者の立場から見ると、ふだんは楽しく生活していても、他者から否応なく評価されざるを得ないときに、さまざまな体験や生きづらさにぶち当たることがあります。マジョリティにとっては全然見えない、ほとんど見えない、見えにくい問題であるにもかかわらず、当事者の立場から見るとさまざまな問題状況があったりする。このギャップをどう埋めていけばいいのかをずっと考えてきました。
 見えにくい問題を見えるようにして、まずは現状を知ってもらわないと話にならない。そうしないことによって、僕が出会ってきた素敵な部落の人たちが、十把一絡げに差別されるのはかなわん。僕が部落問題を伝えたいという背景にはそういう想いがあります。

ともえ 部落出身であることを両親から教えてもらったのは8歳のころで、思い出したのが18歳。
子どもの頃、かつて暮らしていた地域を指して「あっちには遊びに行ったらアカンよ」とか、心待ちにしていた油かすを使ったおかずやさいぼしの味とともに「友だちにこれを食べてることは言ったらアカンよ」と言われるたびに、絶対に守らなければならないと感じ取った川崎家の掟があった。弟が幼稚園での出し物を練習しているときだったか母が母親仲間に仲間はずれをされたことがあった。そのときの、ちょっと悲しそうなばつの悪そうな母の表情を覚えている。また、毎晩のように酒に酔い夜中に帰ってくる父に、「なんでこんなになるまで酔っぱらうんだろう」とどうしようもできず、いつも悔しさと腹立ちを感じていた。それらは全部がなんとなくつながっているような気がして、その理由を知りたいという気持ちがずっとあった。
入学した大学がかつて暮らした父の故郷の被差別部落と隣合わせであり、部落問題の授業も熱心に開講されていたため、私は先生や先輩たちの中で多くのことを学ぶ機会に恵まれ、幼い頃からの疑問に対する答えを徐々に見つけ、新しい問いに直面することにもなった。
なかでも自分が部落出身であることを目の前にいる相手へ伝えるかどうか、という自問自答に、一時どうしようもないくらい悩んでいた時期があった。それでも思いきって伝え、自分の悩みの中身とともに部落問題とは何ぞやについても語ると、多くの人は耳を傾け理解を示してくれた。同じ部落出身の人の場合は、住む場所や年齢に関わらず、共有できる気持ちがあった。抱えている問題は違っても何かしら生きづらい思いをしてきた人とも重なる言葉があった。語らうことを通して、自分の中でピンとはりつめたり、ぐるぐるしていたりする気持ちがほどけていった。そういう成功経験は私をたくましくもさせてくれ、新しく出会う人に自己紹介するとき、気軽に部落出身を伝えることの方が多くなった。
どうして部落問題を伝えたいと思うのか。いま、私にとってその答えは「人と出会いたいから」に尽きる。自分を開いて語りかけ、相手も何かを語り始めてくれるきっかけになる話題。それが私にとって、たまたま部落問題になった。差別されるかもしれないという不安や、理解されなかったときの徒労感を想像するのはひとまず横に置いて、ある種の賭けをして話してみる。そんなふうにしながら、語り合える仲間がひとり、またひとりと、現れたときの喜びはひとしおである。
「こういう人が居るからあなたに会わせたい」と思わぬところからもたらされる出会いも最近多くなった。自分が部落問題について発信していなければ出会えなかっただろうと思うから、まだ見ぬ友人に期待しながら、部落問題について情報発信しようと思う。
この10年の間に、関西各地は言うまでもなく、新潟、長野、東京、千葉、香川、鳥取、広島、福岡、大分、さらにはソウル、パリ、ワルシャワ、サンフランシスコ、ニューヨーク、と世界各地に部落のことを語り合える友人ができた。語り合う場面には、必ずその土地のおいしい食べものとおいしいお酒があり、それらを味わうためにも部落問題を語り歩いている、と言っても過言ではない。

みよ 私が生まれ育った場所は“部落”“被差別部落”“同和”などの言葉を知らない人が多いと思います。同和教育のようなものがないので友人に部落と言っても頭に“?”がいっぱいついちゃうようなところです。
専門学校生の時「なぜ写真を始めようと思ったか」について友人と話していました。中学生の時はスポーツや風景を撮りたいと漠然と思っていて高校生の時に部落問題も撮ろうと思い始めたと話したら友人は部落問題を知らず私のつたない知識で説明し「部落差別をなくしたいから、それを写真で表現したい」と言いました。そして返ってきた言葉が「そういう事言うからなくならないんじゃない?」でした。それまでも身近な友人に自分が部落の出身だと言ってきた事はありました。ですが、そういう返答をされたのは初めてで友人に悪意はなかったとしてもとてもショックでした。それは“なくなる”ではなく“消える”だと思ったからです。私の中で“なくなる”は部落問題を知ってる人も知らない人も部落問題を理解して差別が“なくなる”事。“消える”は忘れ去られ今までそういう問題すらなかったようにされる事。本当に部落問題がなくなった訳ではないと思うからです。
たくさんの人に知ってもらう事で部落問題に限らず差別というものがなくなる一歩になるではないかと思うからです。要は、世の中いろんな人がいいていいじゃない!住みやすい世の中にしようじゃない!って事ですかね。

さたやん  伝えたい・・と言うほどには伝えられていないっちゅう現状なので、答えることすらおこがましいのですが・・あえていうなら、この「伝えられない」もどかしさこそが「伝えたい」ゆえんになっている、ってところでしょうか。
 思えば「部落で働く」ことの説明しにくさはずっとつきまとっていました。 なのに、仕事そのものは「そのこと抜き」では説明しにくく、よけいに面倒くさい。まさか、いきなり声高に「部落差別とは!」と語るのはどないやねんとは思いますが、言ったあとの何げなスルーには己れの説明不足を感じるし、返しがあったとしてもどこかストレートではない問いかけに、どうもうまく答えられていません(修行が足りんのお・・)。
 ひょっとしたら私の年代までかもしれないのですが、伝える側・伝えられる側双方に「言えない」タブー感が染みついているような気がしています。もしそうだとしたら、まずは「伝えられない」自分を打破し、双方の対話を生み出したい。それこそが「伝えたい」理由そのものなのかも。・・なんか逆説的な結論になってしまいました。