今までのテーマトーク

12月のテーマは「あなたが影響を受けた"部落の人"は誰ですか?また、その人はどんな人ですか?(3人まで)」です!

(テーマ設定 みどりん)

たみ  基本的に、部落の人じゃない人に影響を受けていることが多いのですが…、そう言われてパッと頭に浮かぶのは、作家の角岡伸彦さんです。

 

もうずいぶん前になりますが、書店でViewsという雑誌の表紙に「阪神大震災と被差別部落」と大きな見出しで書いてあるのを見つけ、東京の街中にある書店で部落問題に関する記事なんかを目にすることはほとんどなかったので驚いたとともに嬉しくなったのですが、その記事を書いていたのが角岡さんでした。その後、部落に関する本をいくつか出されていますが、初めて部落に関する本で共感するものに出会ったなと思いました。 お会いしたことはないのですが、こんな風に自分の足で立って、自分の言葉で部落を発信している先輩がいるのだと、それはとても心強いことでした(です)。

 

あと、影響を受けたというのとはちょっと違うかもしれないのですが、こども

 

夫は部落の出身ではなくて、私と結婚して部落と関わることになった立場です。埼玉県の出身で、小学生の頃は年に1回ビデオを観て感想文を書くという同和教育があったそうなのですが(同和教育を全く受けたことがない私にとってはそれでさえ驚きだったのですが)、それ以外は部落の出身者と公にしている人に会うこともなく、特に意識することもなく生きてきたという人で、そういう人にどう部落のことを伝えるのかというのは結構難しいことでした。その過程で、ずいぶん鍛えられました(笑)でも、私が一番やりたいと思っていることは、部落のことをよく知らない人に部落のことを知って欲しい、理解して欲しいということなので、そういう人にどういう働きかけをするのがいいのかとか、夫のおかげでずいぶん勉強させてもらったなと思うし、実際に私以外の部落の人やマイノリティの人たち、立場はマジョリティであってもマイノリティと社会について動き続けている人たちに会うことで彼がどんどん変わっていく姿に、 勇気付けられもしました。

 

こどもは、今3歳なのですが、部落のことをどう伝えるか妊娠中から悩んでいて(笑)、今もはっきりとした結論は出ていないけど「私は私だし、部落のこととか考えるのもういいかも。」と思いかけていた私が、「こどもにいつ、どう伝えるのか」という大きなテーマを持ったことが、部落問題と再び真正面から向き合うきっかけになりました。「部落」について考えることは社会の全ての人が幸せに生きていくことに繋がることなんだって、部落に対して今までとは違った角度で考えることになったきっかけもこどもを育てていく中で得たものだったし、こどもが生きていく社会が明るいものであって欲しいと、今こうして活動する原動力にもなっています。  (2011/12/11)

C  やっぱりお父さんかな。ベタですいません。
お父さんが解放同盟で頑張っているところを小さい時から近くで見てきたので一番身近で存在が大きいです。  (2011/12/11)

みどりん  一番大きいのはです。
部落出身であることにアイデンティティと肯定感を持ちつつも、運動嫌いの母は、「差別とたたかえ」とか「差別に負けるな」とか、あまり言いませんでした。
私はものごころついた頃から、「自分はこのムラの子」「このムラは部落」「部落は被差別地域」ということを理解していたように思います。
今考えると、母が私たち兄弟に伝えてくれたメッセージは、
「あんたはムラの子で、今も差別はあって、あんたも差別を受けるかもしれへん」
「でも、それはあんたが悪くて差別されるんじゃない。だから自分を卑下しなくていい」
「何かあったら、ぜったい味方やし、助けたるから私に言いなさい」
ということだったと思います。これは、私の部落との関わり方にすごく影響している気がします。
大人になってから、「お母さんは私たちには差別を受けさせたくない、とかって思って私たちのこと育てた?」と聞いたことがあるのですが、
「差別があるのは事実だし、なくならないかもしれない。だから、差別を受けさせたくないというよりも、差別があっても、自分を大事にできて、人ともつながれて、しっかり生きていける子になってほしいと思ってた」と言われ、
「そうやろなー」と思いました。自分の持ってる感覚ととても合う答えで、すごく納得したのを覚えています。

他には、やっぱり生まれ育った地元の人たち(特に親戚たち。関係が濃ゆいので)、今働いている北芝の人たちなど。
こうやって考えると私の人生、たくさんの部落の人に影響を受けて来たなあと思います。 (2011/12/12)

りゅうし  部落問題研究へのきっかけという意味では、運動界隈では著名なある活動家の方でしょうか。

大学1年生の頃、大学の企画で某地域にフィールドワークに出かけ、そこでお話を伺いました。

そこでびっくりしたのが、「私、純ブラですから。」と言われたこと。

(注:「純ブラ」とは、純粋な部落民のことであり、ここでは両親とも部落出身の方を意味します。)

不勉強な当時の僕は、「部落」はなくなるべきものであって、そこにアイデンティティがあるなんて全然考えてなかった。

そこから、「部落」のアイデンティティってなんやろか、と考え出して、今に至ります。

この論点については、以下を参照。

内田龍史 2011年「部落差別とアイデンティティ――「期待される「部落民像」――アイデンティティの獲得と継承」の意図」『ヒューマンライツ6月号』(部落解放・人権研究所)279号:23-26.  (2011/12/15)

ともえ 大学1年生のときに、部落問題の講義を担当していた先生。すごくおもしろい授業をしてくれた。

その授業を通じて知り合った。部落問題の研究をしている。・・・、どちらも部落の人じゃないですけど。(2012/1/11)

みよ たみかな?

運動に参加してた時も今も後をついて行ってる感はあるけど、近くにいるからこそいい刺激になるし学ぶ事が多いです。(2012/1/19)