今までのテーマトーク

11月のテーマは「部落問題や部落に関わっていて、嫌だったこと、悲しかったことなどありますか?」です!

(テーマ設定 たみ)

みどりん  部落出身であることを、「関係ない」とかっていうふうに「無視」されること。(よかれと思って言ってくれることが多いのですが・・・)

部落とか、部落解放運動という「枠」の中に、押し込められそうになること。(こだわってるけど、そこに押し込められたくはない。マイノリティの中だって多様なのだ)

こだわってるわりに、部落の土着のコミュニティに溶け込めないこと。居心地よく馴染めないこと。(2011/11/11)

りゅうし  印象に残っているのは、最初に『差別事件年表』と出会ったときに、事件になるほどの差別だけでこれだけあるのか、と思ったこと(ちなみに5269件掲載されているはずです)。もうひとつは、「お前は部落民じゃないからわからんやろ」と言われると自分では変えられない属性をもって対話ができなくなってしまうのでして、これはかなりつらいことです。まあ、「わからんやろ」と言われたことをきっかけに、少なくともその人よりは「わかるようになろう」と部落問題の研究者を志した側面もあるので、今となっては半分感謝しておりますが…。さらに、言われたときはショックで思考停止になりますが、なぜそんな台詞がその人の口から出てきてしまうのかを考えると、部落問題のもうひとつ(ふたつ?)しんどいところが見えてきて、これも悲しかったりします。(2011/11/13)

参考文献
部落解放研究所編,1990『差別事件年表1 戦前編1871~1945』部落解放研究所.
部落解放研究所編,1992『差別事件年表2 戦後編1945~1976』部落解放研究所.

さたやん  関わりを持つ立場でありながら、関わりをうまく伝えられなかったとき。失敗感に落ち込みます・・(2011/11/13)

たみ  周りに部落のことを知っている人がほとんどいない状況で育ったので、部落問題に関して相談できる人が10代後半になるまで身近にいなかったこと。

部落問題に関する不安とか心配とかを周りの人に言っても、「私は気にしないから」とか酷い時は「被害者意識が強いんじゃない?」なんて言われることもあり、周りの無理解がとても辛かったです。

でも、部落の人と話していても、「あなたは部落に住んでいるわけじゃないから、私たちの気持ちはわからない。」なんて言われることもあり、部落の出身者同士でも無理解があるのだなと、それも辛いことでした(部落に住んでいない部落出身者には、それ故の辛さがあるわけで、どちらが辛いとか楽だとかそういう問題ではないと思うので)。

 

それと、部落に関して、私は部落の文化とか人間関係とかにあまり触れずに、差別の部分ばかりを意識せざるをえない状況で暮らしてきたので、自分の部落の文化とか、周りの人の温かさとかを誇らしげに話している人に出会うと、なんだかコンプレックスを感じてしまったり、部落のそういう部分を語れなければあなたの言葉には説得力が伴わないなんて言われて納得がいかずに悔し泣きをしたこともありました(何か、誰かに言われたことばっかりだな…私)。  (2011/12/5)

ともえ 部落問題を学んだ分、何が差別なのかとか、感覚は鋭くなる。そうすると、世の中で起こっている差別を見過ごさずに、それを差別として認識することが多々ある。部落がどこにあるかを知ると、部落ということばを出さずともその地域を悪く言う人なんかに出くわすと、嫌な気持ちになり、どう切り替えそうか悩んでしまう。その他、女性やセクシュアルマイノリティに対する(言った本人にとっては)何気ない、でも、(当事者にとっては)ひどい一言なんかにもいちいち反応してしまい、日常生活でエネルギーを消耗します。それだけ、日常生活の中に、マイノリティの生きづらさの要因がごろごろしているということだな、と思います。(2012/1/11)

みよ 部落問題というか部落の事がメディアで取り上げられる時に見ていると不祥事(?)な事が多かったりして“部落”というものが一括りにされる事。

部落問題をあまり知らない人が見たら負なイメージしか持たれない様な描き方がされていたりするので、部落の人、部落問題に関わる人みんながみんなそこで描かれている人と同じだと思われたら嫌だなと思う事があります。(2012/1/19)